岩をも通す [日記]

この数日、愚痴っぽい、餓鬼っぽい事ばかり書いていたので、ちょっと気分を切り替えて、良かった事の話でも。

患者さんが良くなることが、最大の喜びであり、それを共有できた時、やっぱりこの仕事を続けて良かった~と思える訳です。

脳梗塞の患者さんの歩行訓練をしています。

(でも、この患者さんを最後のリハビリ患者さんにしようと思っています)



「○○の一念、岩をも通す」と言う諺があるようです。

○○のところには、虚仮(こけ)という言葉が入ります。

虚仮というのは、僕の事であり、本来なら専門家に任せるべきものを、それでも信念を持って貫けば…というような都合の良い解釈の出来る諺のようです。

僕のリハビリの技術は、この患者さんと共に有ったと言っても過言では無いし、長期的に継続して担当させて頂けるという事は、とても幸せな事です。

元々は、訪問介護の中、十分なリハビリを受けていなかったようで、不用意な動作からギックリ腰になってしまい、寝たきりになってしまっていた所、疼痛管理要員として、出会ったのが始まりでした。

当時は、痛みさえ軽くなれば、後は自然と快復(リハビリ)も出来るだろうと思っていました。

でも、事はそんなに単純じゃ無かった。

ギックリ腰になってしまった経過を分析すれば、それでは不十分だという事は明白です。

ついでに、鍼灸師としての身分を捨てた時でもありました。



寝返りの仕方、起き上がり方、座り方、立ち方、歩き方、日常動作に関わる動作の殆どに改善点があり、強いて言えば、指の動かし方一つとっても、修正が必要でした。

毎日1時間を目安に(それ以上だと体力が持たない場合がある)、週6日。

最初期は、癲癇の発作もあったりして、挫折しそうな時期もありました。

それを数年続けて、ようやく今があります。

時間経過は、各々の施術者の技量の差もあるので、一概には言えませんが、これぐらいの時間が必要なのかもしれません。

具体的に、何が良くなったかと言えば、「らしく」歩けるようになった事です。

「らしく」というのは、脳梗塞特有の硬直した動作が緩和され始めているという事。

患者さんが、耐えに耐え、耐え抜いて頑張ってきた証だと思います。

独りでの外出はまだ不可能ですし、これから先、そういう保障が出来る訳ではありません。

でも、その可能性は十分に秘めている。

時間との勝負です。

老化が追いかけてきます。

死は待ってはくれません。

どこまで行ってもゴールは無いかもしれません。

進み続ける事が生きることなら、ゴールは必要ないかもしれません。



その患者さんの寿命が尽きる時、もう遣り残した事はない、と言い切れるように。
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