自分は皆の犠牲になっていると云ふ思い込み [日記]

今日は結局、昼食を摂る時間が無くて、時計を見たら、もう18時を回っていた。

引き出しに入ってた、お菓子を3つ頬張る。

腹の虫が治まった気がする。

忙しいのは悪い事じゃないと思ってたけど、やっぱり悪い事だと再認識。

忙しさの質にも因るか…。

散々振り回されて、それは自分の意志でそうなっているという思い込みが、忙しさに拍車を掛けている。

実は、忙しくも何とも無い。

寧ろ、暇すぎて時間を持て余しているから、振り回されるのだと痛感した次第で御座います。

腰が据わっていないというのかな?



実体の見えない責任感に囚われ、奉仕しているという錯覚。

誰かのために、自分を犠牲にしている、そうする事で、褒めて欲しいのだと、そういう事かと、自分を問いただす。

犠牲の上に建っているモノほど、脆いモノは無い。

そんなモノは犠牲とは言わない。

自己満足。

人はそんなに高潔な生き物じゃない。

かと言って、自分の血を流さなければ、本当の痛みも分からない。

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駐車違反でキップを切られました(T_T)

自分で起こした不始末なので、自分以外の誰も咎められません。

魔が差した…と言ったところです。



時間に追われるより、時間を追いたい、そんなところでもあります。



いつも、昼時には、製薬会社の営業車が数台駐車している道路。

いつも、それを見ていたので

ここに停めたら300mの移動時間が短縮できるな…とか

そんな不粋な思惑が、失敗の元でした。

「いつもは大丈夫なのに」

それは、いつも巡回しているけど、自分の時だけ都合よく免れるかも…という根拠の無い推測。

往診が終わって、さっさと戻っていたら、十分に猶予はあった…とか

そんな馬鹿な事を考えてみたり…。

…長話が過ぎました。



「そんな事、他の先生ならしない。先生は頑張ってるねぇ」なんて言う言葉が、心に突き刺さります。

たぶん、「しない」と言うのが正解。

普通、誰もしない事をしている自分に、優越感を与えたかっただけかもしれません。



限界は自分では作りたくないですが、キャパがある。

出来る事と、今は出来ない事の見定めが必要なのだと。



「今日はゆっくり出来ないから、話はまた今度ね」

なんて言ってたら、そんな時間なんて全く無い事は分かり切っている事。



「あと数分で来客があるから、それまで待って」とか

待たされている僕は、どういう立場なんでしょう…。

僕が待たされている時間は、他の患者さんが待っている時間です。

患者さんの都合は大事ですが、そういう都合を言い訳にする人は、概して良くなっていません。

たぶん、時間の使い方や、身の振り方が上手く出来ないんだろうな、だから自分の身体も良くならない。



患者さんの話を聴いているつもりが、自分も同じだと気付いた時の不甲斐なさ。



一日は24時間しかないし、誰も時間を買う事は出来ません。

誰に、どのぐらい時間を割くか。

その『誰に、』の中に、自分が含まれていなかったという事。



奉仕という名の、自己欺瞞。
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