贅沢で申し訳ない… [日記]
「私なんかには勿体無い」
「こんなにしてもらって贅沢やわ、有難い事です」
ある患者さんはそう言った。
双手礼で、
「宜しくお願いします」
「有難う御座いました」
って、
何だか畏まって緊張してしまいます。
膝が良くないので、正座は出来ません。
殆ど膝立ちの状態から頑張っても、踵はお尻につきません。
医療を受けられるという事が当たり前、そういう価値観が常識の世の中で、
戦前から生きてきた人って、そういう考え方を持っているのかな?と思ってみたり。
今、当たり前に感じている権利が、当時は当然じゃなかった。
日常を滞りなく送ることが出来るのは、本当に尊い事なんだな…と。
痛いのも我慢しなくちゃならない、病院に行きたくても行けない、もしかしたらこのまま死ぬかもしれない。
肩が凝ったから、ちょっとだけ揉んで欲しい、これが贅沢だとは言わないけれども、そうやって凝った肩を序でに擦ってあげることが、とても喜ばれる。
仕事としてやってるんだから、当然結果を残さなきゃって必死に思ってみるけど、本当はそうじゃない所に意味があるのかもしれない。
「治らなくっても良い、ただ其処をそうやって擦ってくれれば嬉しい」
そういう考え方、感じ方を未だに受け入れられない自分が居る。
でもそれって、治せないからだよな~って、負い目があるからそう思うのかもしれない。
何となく負けた気がする、放棄した気がするから。
治すってのは、始めるタイミングが必要。
早すぎても遅すぎてもダメ。
人生のどの時点で始めるか、その当たりが実は重要だったりする。
縁と言えるかもしれない。
「先生ともっと早く出会っていればな~」
って言われた。
「今からでも遅くはないですよ!」
って、励ましてみるけど、きっとそういう意味ではなかったんだよね。
「人生最後の1年間、これまで一度も鍼もマッサージも受けた事なかったけど、最期に良い思いが出来てよかったよ!って、旦那が言ってました」って。
当たり前って思ってたけど、患者さんにとっては、特別な贅沢だったのかもしれない。
「こんなにしてもらって贅沢やわ、有難い事です」
ある患者さんはそう言った。
双手礼で、
「宜しくお願いします」
「有難う御座いました」
って、
何だか畏まって緊張してしまいます。
膝が良くないので、正座は出来ません。
殆ど膝立ちの状態から頑張っても、踵はお尻につきません。
医療を受けられるという事が当たり前、そういう価値観が常識の世の中で、
戦前から生きてきた人って、そういう考え方を持っているのかな?と思ってみたり。
今、当たり前に感じている権利が、当時は当然じゃなかった。
日常を滞りなく送ることが出来るのは、本当に尊い事なんだな…と。
痛いのも我慢しなくちゃならない、病院に行きたくても行けない、もしかしたらこのまま死ぬかもしれない。
肩が凝ったから、ちょっとだけ揉んで欲しい、これが贅沢だとは言わないけれども、そうやって凝った肩を序でに擦ってあげることが、とても喜ばれる。
仕事としてやってるんだから、当然結果を残さなきゃって必死に思ってみるけど、本当はそうじゃない所に意味があるのかもしれない。
「治らなくっても良い、ただ其処をそうやって擦ってくれれば嬉しい」
そういう考え方、感じ方を未だに受け入れられない自分が居る。
でもそれって、治せないからだよな~って、負い目があるからそう思うのかもしれない。
何となく負けた気がする、放棄した気がするから。
治すってのは、始めるタイミングが必要。
早すぎても遅すぎてもダメ。
人生のどの時点で始めるか、その当たりが実は重要だったりする。
縁と言えるかもしれない。
「先生ともっと早く出会っていればな~」
って言われた。
「今からでも遅くはないですよ!」
って、励ましてみるけど、きっとそういう意味ではなかったんだよね。
「人生最後の1年間、これまで一度も鍼もマッサージも受けた事なかったけど、最期に良い思いが出来てよかったよ!って、旦那が言ってました」って。
当たり前って思ってたけど、患者さんにとっては、特別な贅沢だったのかもしれない。
2012-10-02 23:49
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