クイックマッサージの是非 [日記]
「これは明らかに治療の対象ではない」…と、どの時点で言い切れるのか。
「疲れました」
というのは治療の対象になり得る。
疲れをとる、疲れにくい身体にする、そういうことが鍼灸治療には出来る、そう思っている。
ただ、人の希望はそこに当てはまらない事もある。
人の手はつくづく不思議なものだと思わされる。
人の手を鍼で再現することは出来ないものかと、試行錯誤する。
矢張り、手は手であり、鍼は鍼なのか…と。
massageは魅惑的だ、依存的でもある。
欲している部分を、隈なく拾い上げ、満足行くまでする。
そうすると、商売っ気で出てしまう。
というより、商売になってしまう。
やって欲しいところは嫌でも分かる。
患者として治療している以上は、ある程度のボーダーラインがある。
こういう症状には、こんな治療をして、これぐらいの効果が期待できる…と言ったように。
だから費用対効果を提示する義務がある。
効果が認められなければ奨めることは出来ない。
医学的な効果を考察しない場合は、一言
「これは医療行為ではありません」
付け足せば、言い逃れができる。
漫然とマッサージをして、患者を惑わせるような事はしてはならない、それは医療者の責務です。
治るか治らないかに対して一切自覚を持たない、そんな無自覚なマッサージであってはならない。
医療である以上、患者を傷つけない絶対的な保証は無い。
だからこそ、慰安に対しては慎重に取り組まなければならない。
「疲れました」
というのは治療の対象になり得る。
疲れをとる、疲れにくい身体にする、そういうことが鍼灸治療には出来る、そう思っている。
ただ、人の希望はそこに当てはまらない事もある。
人の手はつくづく不思議なものだと思わされる。
人の手を鍼で再現することは出来ないものかと、試行錯誤する。
矢張り、手は手であり、鍼は鍼なのか…と。
massageは魅惑的だ、依存的でもある。
欲している部分を、隈なく拾い上げ、満足行くまでする。
そうすると、商売っ気で出てしまう。
というより、商売になってしまう。
やって欲しいところは嫌でも分かる。
患者として治療している以上は、ある程度のボーダーラインがある。
こういう症状には、こんな治療をして、これぐらいの効果が期待できる…と言ったように。
だから費用対効果を提示する義務がある。
効果が認められなければ奨めることは出来ない。
医学的な効果を考察しない場合は、一言
「これは医療行為ではありません」
付け足せば、言い逃れができる。
漫然とマッサージをして、患者を惑わせるような事はしてはならない、それは医療者の責務です。
治るか治らないかに対して一切自覚を持たない、そんな無自覚なマッサージであってはならない。
医療である以上、患者を傷つけない絶対的な保証は無い。
だからこそ、慰安に対しては慎重に取り組まなければならない。
2012-10-10 17:10
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