疲労はどこから生まれるのか? [日記]

自由に動かない…そんなコトも疲労の一因になるでしょう。


集中と固執は違います。
良質な集中は、身体がリラックスして洞察深く、思考も伸びやかになります。
人の意識はよく出来たもので、如実に身体を変化させます。
恐怖に怯えれば身体は硬直するし、痛みがあれば緊張もします。

何かに囚われ陥っている時は、身体も固く閉ざした状態になります。
内からの発信は塞がれ、外からの情報も受信し難くなります。
他人のアドバイスを素直に受け入れられない、それも似たようなモノかもしれません。

例えば肉体的な労作によって生まれた疲労というのは、その所存が明らかになる場合が多い。
しかし精神的な疲労というモノは、どこにあるのか判別するのが難しい。
心の状態をツボを以て識る。
そういった時に鍼灸は役に立つな~と思います。

心が固まれば、身体も固まります。
リハビリの時なんかは、それが結構ハッキリ分かったりもします。
『動かない』
或いは
『動かすとはこういうコトだ』
という固定概念が、更に疲労に拍車を掛けます。
そうするとリハビリの効果が出るばかりか、逆に疲れだけが前面に出てくることになり、結局は嫌気がさして終始寝たきりの状態になるコトもあります。

よく、『リハビリの仕方が解らない』
という患者さんがいますが
僕の少ない経験から言わせてもらえば
多くの場合、心の解放の仕方が解らない
というコトに集約されると思っています。

つまり、思い込みというコト。
あるコトをキッカケにして飛躍的に上達する患者さんがいます。
コツというのは、心の鍵穴を見つけた時。
ゴリ押しではどうやっても開かなかったトビラを、楽に開ける方法を見つけた時。
リハビリが辛いと感じるのは、その鍵穴を見つけるまでかもしれません。
難しい数学の問題がなかなか解けないのと同じで、ちょっとした視点の変化が大きな変革をもたらすコトもある。

頑張れば報われるというコトから、如何に楽に効率よく行えるかというコトも考えなければなりません。
身体を酷使しても、それに見合う対価を得られるかどうかは、流した汗や涙の量に比例しません。
楽をすること。
身体はそれを望んでいるはずです。
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夏炉冬扇

お早うございます。
退職して結構リラックスできるようになりました。仕事の疲れはいやですね。
♪楽しませてていただきました。
by 夏炉冬扇 (2012-10-23 07:28) 

kaya

> 夏炉冬扇 様
コメントいつも励みにしています、ありがとうございます。
今まで、疲れてクタクタ寝るまで働いた事がなかったので、いい経験になってます。
by kaya (2012-10-23 22:51) 

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