お見舞いに行ってきました [日記]

今日は、午後からの時間に少し余裕があったので、某赤十字病院にお見舞いに行ってきました。
もう、何人の患者さんをお見舞いしに行ったでしょう。
原因で一番多いのは、腰椎圧迫骨折です。高齢者の転倒リスクは常に意識しなければなりません。とにかく怪我をしないこと、させないこと。

意識が比較的はっきりしていたので、会話は何とか成立。耳が遠いので、主に筆談を用います(病院なんであんまり大きな声は出せないんですよね…)。

『人に迷惑かけてまで、長生きするのもどうかと思うなぁ。
社会に貢献できひん人間は、必要ないんとちゃうか』
…と、淡々とした口調の中に、微かな憂い?を感じます。
やっぱり、これが一番印象に残った言葉です。

安っぽい慰めは、逆効果かと思うし、こういう時にかける言葉の教科書が欲しいぐらいです。
思ったより元気な顔が見られて、こちらがホッとしただけかもしれません。

『ホウハッテ数日寝ヘヒフホ、脚ハ弱ッヘ敵ハンハ』
『家ヒ溜ヘヘフ仕事ホ処理ハ大変ハ』
退院してからのスケジュールも一杯みたいです。
入歯を外した口から洩れる空気のような発音が、回復までに必要な時間を物語っています。


社会に対して貢献させて頂いている


その人にとって、生きる理由、生きる希望が、人や社会への奉仕であり、そうあることが人間らしさなのかもしれません。

人間らしさ、と問われた時、自分の中の人間という定義が曖昧だった事に今更気付きます。

自分は生かされているということを知ったとき、感謝以外に伝えられる気持ちが見つかりません。

役に立っているということが、自我を推進させる動力源?

機能如何に関わらず、存在自体が等価値である命。

命という何かに、機能を持たせた何かを人間というのかもしれません。

機能は失調することがあります。その時、人は病気になる、とも言える。

それでも、命は輝きを失わず、魂は健全であり続ける事が出来る。

この鍼は、そのために在ります。
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