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大真面目に、独歩できるようにしてみる 4 [日記]

子供の成長と、高齢者のリハビリは違うのか?



たぶん、違うんだと思います、というのが現時点での回答です。

出来ない事を出来るようになるという過程は同じでも、本質が違う、そのように思います。

それは、赤ちゃんが病的ではないという事です。

ペナルティを背負っていない。



全くの白紙の状態から、創り上げていくものと、何十年積み上げていたものが崩れてしまった状態から再興するのとでは労力が違います。

その過程で、過去の経験や柵(しがらみ)、身体に滲みついた習性なんかは、ちょっとやそっとの努力では、努力では努力では抜け出せるものではないと思います。

更地にする必要は無いと思いますが、歪んだ地盤の上に、新しく構築するのは至難の業です、たぶん。

理想や幻想、今まで築いてきたものと同等、或いはそれを超えるものを要求されることがあります。

たぶん、その要望には応えられない…それが現実かもしれません。



生まれながらの境遇ではなくて、自分で築き上げてきたモノを崩壊させられてしまった感覚というのでしょうか。

喪失感、それが妥当な表現かもしれません。

ゼロスタートじゃなく、プラスからのマイナス。

だから、どうしても失ったモノを取り戻す、そういう感覚に陥るのかもしれません。



「アレ(手を動かす事)が出来たらな~もう一度、ひと花咲かせられるのに…」



思い描いた通りの現実、それは程遠い理想。

手を伸ばしてでも掴みたい現実。

すぐそこに、届きそうな現実。



誰もが到達できる境地では無いと思ってます。

だから、大真面目にしなけれなならない。

中途半端な覚悟では、笑い者にされてしまう、僕自身がね。



あり得ないかもしれないこと

張本人以外は誰も期待してないこと

やり遂げても他の誰も讃えてくれない事



医学の歴史には残らなくても、たぶん

その人の人生史の一頁には残るだろう事



棺桶には、自分の脚で乗り込んでもらって

(実際には、あり得ないことですけどね…その時はもう死んでますから)

僕は大手を振って、見送ってやりたいと思います。



死ぬまで生涯現役。

それが合言葉です。
タグ:独歩
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きりたん

気持ちに寄り添う。
そういうところは見守る側としては同じなのかなあと思いました。

朝陽の中で、見守るか、
夕陽の中で、見守るか。。。。
by きりたん (2012-08-13 10:33) 

kaya

> きりたん 様

治療と教育は仲間?でしょうか…。
by kaya (2012-08-13 22:51) 

きりたん

仲間という意味がわかりませんが、

目の前にいる人や子どもが、
何かを望んでいて、
それの表現方法がわからなくて、伝わらなくて、
どうしていいかわからなくて、
でも必死にもがいていて、

または、目の前にいる人や子どもが
すごく傷ついていて、
自分から動こうとしないとき

または、何かができてとてもうれしいとき、
または、怒っているとき、
エトセトラ

病気に向き合うことと、子どもが成長することは全く異なりますが、
それに携わる者として、
そういう人や子どもの気持ちに寄り添うところは同じかと思いました。

気持ちに寄り添うというのは、
その人の望んでいることをするという意味ではありません。
その人のそばで、その人が生きるのに、少し力をかせるように、
静かに存在している、という感じかもしれません。

by きりたん (2012-08-14 02:29) 

kaya

> きりたん 様

参考になります。

ありがとうございます(#^.^#)
by kaya (2012-08-15 18:43) 

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