人の死に関わったことはあるか? [日記]
劇的ビフォーアフターと言う番組を見ている。
前回は、以前勤めていた患者さんのリフォームの風景を放送していた。
近所だったので見に行ってみた。
撮影の時は、仰々しいぐらいになっていたけど、実際に見てみると、普通の家と同じ外観。
患者さんは満足しているかもしれないし、でも僕にはメディアは恐いものだとしか思えない。
今週も同じ番組を見ている。
引っ越して一年で妻が寝たきりという状況で、住みやすく改築するというもの。
福祉介護用の装備が色々紹介されている。
こんな設備がどれだけの患者さんの手元で実現するんだろう…と思う。
皆が思い通りの家や環境で住める訳じゃない。
皆が同じ条件で生活できる訳じゃない。
治療費もろくに払えない患者さんは多い。
払えないなら治療は出来ない、それでも良いとは、まだ思えない。
将来的に払えるようになるとも思えない。
だって、この先には死ぬんだから。
働ける余裕もないのに治療費も何もない。
その時は、今あるマンションを売らなければならない。
末期ガンの患者さん。
貯金はない、遺族年金で細々と生活している。
たぶん、2、3カ月後には歩けなくなっているという主治医の見立て。
歩けなくなったら、どうするんだろう。
親族は、無い財産を漁り、患者は更に疲弊する。
鍼灸師にとって、看取りとは何だろうか…と思う。
あまり意識のない患者さんでも、鍼をすると顔色がよくなる時がある。
喋る事は出来ないのだけれども、生きているという感じがする。
死ぬ5日前の患者さんのお見舞いに行った時のこと。
人工呼吸器をつけて、体中が浮腫みまくって、まるで水風船のような殻(身体)。
まだ生きているという感じはするのだけれども、もう多分元気に動くことはないという予感。
21グラムという映画があったけど、それは、
20世紀初期のアメリカの医師ダンカン・マクドゥーガルが行った、魂の重量を計測しようとした実験に由来するらしい。
魂の計量は実際のところ、オカルト的なものかもしれないけれども
実感としてはやっぱりあるかもしれない。
臨終に際したことは無い。
家族と食事の帰りに
母親がこんなことを言った。
私が命の死に初めて遭遇するのは「飼い猫」かもしれないね。
実の両親の臨終にですら対面したことがない。
両親の年齢になっても、喪主を務めるのは初めての人が多い。
ボクはまだまだ先だと思う。
うちは、猫を2匹買っている。
11歳と12歳。
平均寿命としては、あと2~3年かもしれないけれども、まだ元気。
恐らく20歳ぐらいまでは、ヨボヨボ生きていると思う。
毛艶は悪くなってきたけれども、2メートルぐらいの高さの家具にジャンプする。
可愛がっているので、死んだら多分悲しいと思う。
でも、それは自分の寂しさであって、彼女らの悲愴感ではない。
往生するのだから、悲しむ必要はない。
寂しいのは、常に自分が残されたから。
初めて、人の死を考えたのは中学生の時だった。
ちょうど震災の直前ぐらいだった。
出席番号が一つ前のU君。
長身で細見、芸能人で言うと、及川光博みたいな感じの少年だった。
血液の病気で、骨髄移植が必要だと言われていたが、宗教的な理由で移植はされなかった。
突然、学校を休むようになって、理由は分からなかったけれども、何かおかしいと子供ながらに感じていた。
実際に、亡くなってから、その理由がはっきり伝えられた。
中学2年の時だった。
道徳の時間みたいな授業があって、その時の作文を書いた。
「心の真ん中にポッカリ大きな穴があいたような気持ち」と書いた。
それを、授業の時にクラスの前で読み上げられたんだけれども、ちっとも嬉しくなかった。
だって、彼は還ってこないのだから。
卒業文集の時にも、同じような内容の事を書いた。
彼を会ってから、約2年
一緒に卒業できなかったことを悔やんだ文だったと思う。
病状からみて、今思えば助かる可能性は十分にあったのだろう。
しかし、家庭の事情や信念に律するところによれば、生より死を尊ぶのだろうと思った。
そんなことのために、彼は死を選んだのかと当時は思ったけれども、今ではそれも否定できない。
家族は家族であり、僕はその中では他人。彼の本心は分からないけれども、最終的な結論は「生」ではなかった。
もしかしたら、死にたくないと思っていたかもしれないけれども、それすらもう分からない。
ブログじゃあんまり詳しく書けないけれども
命の生き死にの決定権が自分にあるのは、更に苦しい。
生かすか殺すかを自分で選べる。
本人に生きるか死ぬかの決定権がないから。
生かせば、それ相応の責任が伴うし
殺せば、それだけの贖罪が必要なのだろう。
前回は、以前勤めていた患者さんのリフォームの風景を放送していた。
近所だったので見に行ってみた。
撮影の時は、仰々しいぐらいになっていたけど、実際に見てみると、普通の家と同じ外観。
患者さんは満足しているかもしれないし、でも僕にはメディアは恐いものだとしか思えない。
今週も同じ番組を見ている。
引っ越して一年で妻が寝たきりという状況で、住みやすく改築するというもの。
福祉介護用の装備が色々紹介されている。
こんな設備がどれだけの患者さんの手元で実現するんだろう…と思う。
皆が思い通りの家や環境で住める訳じゃない。
皆が同じ条件で生活できる訳じゃない。
治療費もろくに払えない患者さんは多い。
払えないなら治療は出来ない、それでも良いとは、まだ思えない。
将来的に払えるようになるとも思えない。
だって、この先には死ぬんだから。
働ける余裕もないのに治療費も何もない。
その時は、今あるマンションを売らなければならない。
末期ガンの患者さん。
貯金はない、遺族年金で細々と生活している。
たぶん、2、3カ月後には歩けなくなっているという主治医の見立て。
歩けなくなったら、どうするんだろう。
親族は、無い財産を漁り、患者は更に疲弊する。
鍼灸師にとって、看取りとは何だろうか…と思う。
あまり意識のない患者さんでも、鍼をすると顔色がよくなる時がある。
喋る事は出来ないのだけれども、生きているという感じがする。
死ぬ5日前の患者さんのお見舞いに行った時のこと。
人工呼吸器をつけて、体中が浮腫みまくって、まるで水風船のような殻(身体)。
まだ生きているという感じはするのだけれども、もう多分元気に動くことはないという予感。
21グラムという映画があったけど、それは、
20世紀初期のアメリカの医師ダンカン・マクドゥーガルが行った、魂の重量を計測しようとした実験に由来するらしい。
魂の計量は実際のところ、オカルト的なものかもしれないけれども
実感としてはやっぱりあるかもしれない。
臨終に際したことは無い。
家族と食事の帰りに
母親がこんなことを言った。
私が命の死に初めて遭遇するのは「飼い猫」かもしれないね。
実の両親の臨終にですら対面したことがない。
両親の年齢になっても、喪主を務めるのは初めての人が多い。
ボクはまだまだ先だと思う。
うちは、猫を2匹買っている。
11歳と12歳。
平均寿命としては、あと2~3年かもしれないけれども、まだ元気。
恐らく20歳ぐらいまでは、ヨボヨボ生きていると思う。
毛艶は悪くなってきたけれども、2メートルぐらいの高さの家具にジャンプする。
可愛がっているので、死んだら多分悲しいと思う。
でも、それは自分の寂しさであって、彼女らの悲愴感ではない。
往生するのだから、悲しむ必要はない。
寂しいのは、常に自分が残されたから。
初めて、人の死を考えたのは中学生の時だった。
ちょうど震災の直前ぐらいだった。
出席番号が一つ前のU君。
長身で細見、芸能人で言うと、及川光博みたいな感じの少年だった。
血液の病気で、骨髄移植が必要だと言われていたが、宗教的な理由で移植はされなかった。
突然、学校を休むようになって、理由は分からなかったけれども、何かおかしいと子供ながらに感じていた。
実際に、亡くなってから、その理由がはっきり伝えられた。
中学2年の時だった。
道徳の時間みたいな授業があって、その時の作文を書いた。
「心の真ん中にポッカリ大きな穴があいたような気持ち」と書いた。
それを、授業の時にクラスの前で読み上げられたんだけれども、ちっとも嬉しくなかった。
だって、彼は還ってこないのだから。
卒業文集の時にも、同じような内容の事を書いた。
彼を会ってから、約2年
一緒に卒業できなかったことを悔やんだ文だったと思う。
病状からみて、今思えば助かる可能性は十分にあったのだろう。
しかし、家庭の事情や信念に律するところによれば、生より死を尊ぶのだろうと思った。
そんなことのために、彼は死を選んだのかと当時は思ったけれども、今ではそれも否定できない。
家族は家族であり、僕はその中では他人。彼の本心は分からないけれども、最終的な結論は「生」ではなかった。
もしかしたら、死にたくないと思っていたかもしれないけれども、それすらもう分からない。
ブログじゃあんまり詳しく書けないけれども
命の生き死にの決定権が自分にあるのは、更に苦しい。
生かすか殺すかを自分で選べる。
本人に生きるか死ぬかの決定権がないから。
生かせば、それ相応の責任が伴うし
殺せば、それだけの贖罪が必要なのだろう。
2013-08-18 20:43
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