Twitterまとめ投稿 2013/09/04 [独白]


nice!(3)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 3

コメント 2

きりたん

私は、義というのは、人として正しい事を行うことだと見ていて思いました。
正しいことを行うには闘うしかなく、だから愛染明王の「愛」が
かぶとの印になったんだと知りました。
「愛」という字は、キリスト教においても仏教においても
あれこれと深いなあと思いました。
by きりたん (2013-09-04 18:09) 

大摩

> きりたん 様
「義」人として正しい事を行うこと。
私もそうだと思います。
ただ、正しいという尺度が人によって違いますし、国や場所、情勢によっても変わってくるんだと思います。
誰から見ても正しいというのは、私にはまだ分かりません。
殺人は正しく無い事だと思いますが、戦争においては兵士を殺すということは正当化されるのだと思います。殺人が正当化される瞬間だと思います。

治療を打ち切るか、継続するか。
どちらが正しいのか、常に迷うところでもあります。
その人の信念が、大きく影響するのだと思います。

直江兼続は、その点で言えば自分の信念を貫き通したと思うのです。
ただし、その信念、「義」というのは、自己のためではなく、民のために在るのだと思います。

良いか悪いかは、大局で見れば後世の人々が決めることだと思いますが
その時代を生きた人々は、その瞬間瞬間に、自分の信念を貫いたのだと思います。

「花の慶次」という漫画がありますが(直江兼続も登場します)
武士の尊厳を保つために、バッサリと敵でも味方でも首を撥ねてしまいます。
それを「情け」と言っていますが
何よりも重んじているのは、人としてあるべき姿なのだろうと思いました。
それって、なんだろうと思うこともありますが
泥臭く生きることも大切だし、今その瞬間に命を絶つという事が人(或いは武士とか男とか)としての尊厳を保つことなのだろうと思いました。

でも、まだまだ、よくわかりません。
by 大摩 (2013-09-04 20:42) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。