はい、歩いて下さい [日記]

自分で出来ない事、家族に出来ない事、素人に出来ないこと。

それをするのがプロであって、誰でも出来ることを、ただ指図するだけでは、給料泥棒だ。

そんな事のために、介護報酬を取らんで欲しいと、とりあえず文句を言っておく。

あ~スッキリした。



『一人じゃ、歩く気も起こらんのよ、誰か後押ししてくれんと』



歩きましょうと励ましても、上手く歩けなければ次第にやる気が失せてくる。

何事にも成功体験は必要だ。

何かを施策する時には、それに見合う期待値を提示する必要がある。

ただ、やれば良いという熱血だけではやってられない。

情熱は必要でも、その懐には冷静な青い炎を燃やし続ける必要がある。



論理。



上手く歩けないのは、脚が上がらないからである。

これが、筋緊張によるものなのかどうかを見定めるのが何気に難しい。

もちろん、脳梗塞後遺症によるところが最も大きな要因となっていると思われる。



動かなければ硬くなるし、硬ければ動かない。



例えば、椅子から立ち上がる時、目の前に障害物があるとする。

すると、人はその障害物を無意識に認知して、それに合わせて制限した動作を行うようになる。

本人は気が付いていないが、障害物があるせいで、正常な立ち上がり動作が出来なくなることがある。

立ち方を教えるのではなくて、目の前の僅かな障害物を取り除いてやる。

それは、テーブルの角だとか、トイレの壁に掛けてあるカレンダーだとか、本当に些細なものだったりする。



無意識の意識の問題。



逆にそれを利用することもできる。

脚の運びを視覚的に認識させるために、『ケンケンパ』の形に紐を並べる。

そこの間に足を入れるようにして歩いてもらう。

普段上がりにくい左脚を意識させるために。

対象物があれば、それを認識し、自分の身体の傾きや位置を自覚するようになるのかもしれない。

こんな幼稚な方法でも、一定の効果が認められる。

幼稚な方法だからと言っても、患者さんを子供扱いするのとは違う。

でも、難しい事をそのまま要求することは、馬鹿のやる事だ。

それが出来ないからと言って患者が馬鹿な訳じゃない。

やらせる方の頭が悪いのだ。



どんなに難しいことでも、あたかも簡単な事のように見せる。

数学の公式も、よりシンプルに整理する必要がある。

過程で得た計算式は必要だが、最終式には必要ない。

複雑なものを単純化する。

そして、それは美しい形を見せる。

歩行は、とても高度な運動様式だ。

ロボットが二足歩行するために、長い時間を要したのも肯ける。



じゃあ、これを家族の人がやったら上手く行くか?と言えば、そうならない事の方が多い。



人は無意識に動いていると思っているが、身体の至る箇所をネットワークで繋いでいる。

指一本見ても、どう使っているか、意識するとしないとでは、その精密さに差が出る。

脚を上げるという単純に見える行為であっても、その上げ方ひとつで分析できることは多い。



歩行が上手くいったという肯定的な感情が、さらに上達を加速させる。

上手くいくためには、上の空ではダメなのだ。

リハビリは特別なことじゃない。

日常生活に戻るための訓練であり、日常そのものなのだ。
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