棲み分け [日記]

慰安としての行為が治療を遅らせる。

町のマッサージ治療院(もちろん有資格者)で、マッサージを受ける、或いは温泉旅行先でマッサージを受ける。

それと、僕がするマッサージ。

自分で自分のマッサージを受けた事がないから解らない事なんですが、どうも患者さんの中では、その間に明確な差があるようです。

疲れた時と、痛い時。

疲れた時は、町のマッサージ治療院に行くという患者さん。

高いから、毎週は行けないと言う。

そもそも疲れ自体が発生するのは、無理な身体の使い方をするからであって、日常的な疲労ではない場合が多い。

つまり治療の対象にはなる。

しかし、それを自覚している患者さんは少ない。

という事を説明しても理解してもらえないし、悪くなった状態で来ればもちろん治療期間は長引く。

でも、それが患者さんにとっての真実であるから、これはもう説明は不要だという事かな。

僕にはリラクゼーションの才能というか、人を癒す心が欠けているのかな?とか心配してみたり。



脚が浮腫む。

重篤な疾患が隠れている場合もあるけれども、多くは主治医を持っていて、定期的に受診しているので、その心配は基本的にない。

その上で、脚が疲れるから揉んで欲しいと願われる。

もちろん、断る理由は無いが、高いですぜ!と一言だけ断ってから、他にどうすれば良いかという情報は提供する。

医療の基本は患者負担を軽減することにあるのだから、出来るだけ安価に済ませられる方法を提示するようにしている。

そうしなければ、患者さんは自分の状態も解らず、ただ言われるままに施術を受けることになると、経済的に苦しくなるのは目に見えている。

そうやって、騙されている人は多い。

と言えば、そんなケチな事は言わんと、揉んどくれ!と言われる。

慈愛の精神が足りないのか、これはあまり歓迎出来ない。

そういう自分の中の拘りは捨てて、言われた通りにやってみる事も必要なのかもしれない。

その方が患者さんは喜ぶかも。
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