人の心を操ることは出来るか? 2 [日記]
人の心を操ることは出来るか? 2012-08-10 09:34 nice!(3) コメント(5) トラックバック(0)
も、参考にして下さい。
この時も、似たような状況ででした…。
今日は、午後から臨時の往診。
教会の見える狭い交差点、対向一車線(という言葉があるか知りませんが、車2台がギリギリすれ違えるぐらいの道です)を信号待ちです。
僕も時間を押していたので、出来るだけ落ち着いて走るように周囲を警戒しながら走行していました。
前回の事例と同じように、10m先の交差点には横断歩道が整備されていて、決して無理に車道を横切らなければならない道ではありません。
僕の前に車が2台、僕はその後ろで信号待ちをすることになります。
左側の歩道には、中学生ぐらいの女の子が自転車に跨ったまま立っていて、どうやら反対側に渡ろうとしているようでした。
僕の進行方向にある信号は、少し前に赤に変わったばかり、しばらくは青になりません。
女の子は(僕から見て前方)左を向いています。
たぶん、女の子は渡ろうとしています。
いつ自転車を漕ぎ出すか、正確には予測できないので、徐行しながら、万が一飛び出してきた時の事も考え、手前で停止しました。
この時、この停止の仕方が、道を譲ってくれたと思わせたのか、そうでは無かったのかは分かりませんが、後から思い出すと、渡る時に会釈をしていた気がするので、やっぱり譲ってもらったと思わせたのでしょう。
危険回避だと思ってした行為が、この後、裏目に出ます。
スィ~っと、緩やかに自転車を漕ぎ出します。
対向車からは、僕とその前の車の間から飛び出してくる自転車は死角に入ります。
また、自転車からも対向車は死角に入るので、普通なら一旦停止して、左右を確認してから進行するでしょう。
普通なら…? って何でしょう…。
僕からは緩やかな登り坂になっていて下り坂が続く道、向こうの見通しは良くない。
そもそも、そういう所を渡らせないようにしておけば、良かったのですが…。
これも、予測の範囲内だったかもしれませんが、交差点から左折車がやって来ます。
国産のセダン。
壮年の男性が運転しています。
スーツを着ていたので、仕事の途中だったのでしょうか?
営業車ではないようです。
こういう時、何故だがナンバー(91-86)は咄嗟に覚えてしまう癖があります。
女の子の前輪が、車のバンパーと接触します。
車のスピードと運転者の視線から察するに、直前に気付きブレーキを掛けていましたが、接触は免れません。
女の子は、倒れこそしませんでしたが、自転車を降りて押して反対側まで歩きます。
接触した車は、一旦バックして、女の子のあとを追い、様子を窺っているようです。
こういう時って、被害者の人は、当てられた事に動揺していることもあるし、事故に遭ったという事が、恥ずかしい事のように感じるのかもしれません。
実際、僕もバイクで事故を起こした時には、咄嗟に「大丈夫です」って連呼してましたから…。
僕の患者さんにも事故を起こされた人がいましたが、つい一ヶ月前ぐらいの話です。
全身打撲、明らかに要検査の状態であるのに、警察にも届けず、相手の連絡先も聞かず仕舞いでした。
往々にして、被害者の心理は、こうなるのかも知れません。
恐らく、女の子の自転車は真っ直ぐは走られない程度に曲がっているでしょう。
横断すべきではない所を渡ろうとした女の子が悪いのは悪いですが、それも子供の判断力では難しい事なのかもしれません。
偶発ではなく、誘発…それが僕の結論です。
事故が起こる前から、その結果に至る可能性はいくつもあった。
僕自身の行動がその引き金になっている可能性がある。
無罪の罪です。
通常の講習ならば、車の隙間から子供が飛び出してくるかもしれないという危険予測を対向車がするべきですが、過去の事例に鑑みると、やはり僕には未然に防ぐチャンスがあった。
女の子は、道を譲ってくれた僕の善意(?)に感謝していたかもしれません。
決して、道を譲る意図は無かったとしても、相手にはそう見えた。
2012-08-21 01:40
nice!(4)
コメント(2)
トラックバック(0)
今日は。
いつも根源的でいらっしゃる。
by 夏炉冬扇 (2012-08-23 16:06)
> 夏炉冬扇 様
言葉を綴っている間は、きっと何も解っていないんだと思います、きっと…。
良い医者は、病気にならないようにすると聞きます。
自分すらも気付かずに、幸せを享受しているということ。
それが何より幸せなのかもしれません。
by kaya (2012-08-23 22:49)